October 31, 2011

電子書籍とソーシャル



アマゾンと書籍の電子化のあたりで議論が盛り上がっている。私は米国に住むようになってもう長いのだが、当然、日本の書籍が続々と電子化されるのを心から待ち望んでいる。これまでも、海外で生活していてストレスが溜まることの一つは日本の書籍の入手だった。実用書は英語圏で出版されているものを読むことが多いものの、長い時間をかけて開拓して愛読している日本の作家は多いし、娯楽その他でも日本の本は大好きなので、それらが手軽に入手できないのは辛い。ご存知のように日本書籍の電子化は時間がかかっているから、紙の本を買うことになるのだけれど、入手方法は限定される。ベイエリアには紀伊国屋が何軒かあるものの、書籍数はかなり少ないので、大半の日本書籍はアマゾンジャパンから取り寄せてきた。問題は「どうやって本を選ぶか」だ。

書店に足を運んでパラパラやることができない状況での本選びは、かなりの部分を推測に頼る手探り作業だ。アマゾンで適当に選んで注文すると、大抵3冊に1冊ぐらいの割合でハズレである。「なか見!」機能のついている本は、大体の内容が把握できていいけれど、この機能のない本を、サイト内にあるカスタマーレビューを読んだりオススメ機能から選んでもうまくいかない。レストランを選ぶときにはレビューサイトを参考にすると失敗が少ないが、それは人間の味覚にはそれほど個人差がないからだ。本以外の製品をオンラインで買うときも同じで、レビューサイトのコメントはかなり参考になる。しかし、書籍のように、その評価が個人の興味の対象や嗜好に激しく依存するものは、「みんなの意見」の集積があまりあてにならない。これは、ベストセラーのような大衆受けするものから外れるほど顕著になる。

結局、自分と読書傾向や興味の対象が似ている人がブログで書いている書評を参考にするのが一番確実というところに落ち着いた。当然といえば当然だが。私はそういう人のブログで面白そうな本のレビューがあると「ほしい物リスト」にどんどん追加していき、それを定期的にアマゾン・ジャパンに発注している。この間もこの方法で50冊ぐらいまとめて取り寄せたが、ハズレは3冊ぐらいしかなかった。33%のハズレ率を6%に減らすことができるのである。

そこで本題なのだが、書籍の電子化が進むと、皆が海外居住者のような状況に置かれることになる。店舗も当分の間は残るだろうが、その数は減るし、電子版だけで出版される本も増えてくる。書店に立ち寄って、ふらふらしながら本を手に取り吟味するというプロセスはオンラインでのアクティビティに取って代わるのだ。電子書籍では、いわるゆ「在庫」というものもなくなるから、選択できる本の数も無限に増えてくる。その本の海の中から自分の欲しい本をいかに効率よく見つけることができるかが課題になってくる。このあたりの問題をうまく効率化できるソーシャルな機能や、ターゲットを明確にした書評サイトは電子書籍の世界で重要な役割を担うことになると思う。

また、ハズレを少なくするというよりも、ハズレが出た場合のコストを軽減するためのソリューションも課題となってくるであろうか。オンランショップで買ったものは「返品」という形でハズレのケースに対応できるが、電子書籍の場合はどうだろうか。アマゾンが、Netflix映画レンタルのスタイルで一定金額を払えば本が読み放題のサービスを開始すると噂されているが、政治的問題が上手く解消されてこれが実現すればハズレ問題は解消できるし、所有するよりも借りるというスタイルが本の場合にも定着してくるかもしれない。いずれにせよ、映画や本のように個人的嗜好に大きく依存するようなものは、効率化されたソーシャル機能がその選択に大きく貢献することは間違いない。

October 20, 2011

シリコンバレーへ行くべきですか



「シリコンバレーへ行くべきですか」という質問が流行っているらしい。私も何人かの人に訊かれた。人それぞれ事情がちがうだろうし、どちらにした方がよいかのアドバイスはするつもりはないけれど、@shibataismさんの「無責任に応援します」というコメントに同感する。情報を集めて、色々な人の意見や話を聞いて、それを自分なりに咀嚼して、あとはビジョンのままにやるといいと思う。状況は刻々とかわるから、前例がなくてもうまくいくかもしれないし、前例があってもだめになるかもしれない。

ただ、考えた末にシリコンバレーに来ることになったら、人との出会いを大切にすることだと思う。

Paul Grahamのエッセイに、"How to be Silicon Valley"(日本語訳「シリコンバレーが出来るには」)というのがある。他の場所にシリコンバレーを複製するにはどうしたらよいのかという問に対して、結局、人が一番大切なのだというコンテンツ。

「必要なのは適切な人たちだ。シリコンバレーからバッファローに適切な1万人を移動できれば、バッファローがシリコンバレーになるだろう。」

優秀な人は、他の優秀な人を惹きつける。連鎖反応が自然発生する。どのようなプロジェクトをやるかより、誰と一緒にやるかの方が大切だとはよく言われるが、プロジェクトは失敗しても、優秀な人達と仕事をしていればいつかは上手くいく可能性が高くなる。こうしてシリコンバレーは繁盛を続けてきたのだ。

シリコンバレーには、本当に才能に溢れて面白い人間が集まっている。私は自分の人生で知り合って刺激を受けた「凄い人」というのは、ほぼ全員シリコンバレーに来て出会った。もっとずっと若い頃に彼らと出会うことができていたら、自分の人生はどのようになっていただろうとさえよく思う。東京やほかの都市にも面白い人は大勢いるが、人が多いから出会うのが難しかったりもする。シリコンバレーの場合は、同じ志をもった人たちが一箇所に集まってきていて、テクノロジー系の職場で働けばギークが集まっているから気の合う面白い人に遭遇しやすい。世界中からやってきた人間で構成されているので、考え方や発想に多様性があるのもその環境を更に特異な場所にしている。

だから、シリコンバレーに来ることになったら、人との出会いを大切にしていれば、たとえプロジェクトや仕事で失敗して日本に帰ることになったとしても、そういう人たちから学んだことを必ずどこかで活かすことができるはず。

つい最近、ある集まりで知り合った人と、シリコンバレーって面白くて優秀な人に会えますよね、変人が多いですよね、という話になった。私が「変人というのはここでは賛辞のことばですよね。」というと、「そういう人とは友達になれそうですね。」という会話の流れでお友達になった人がいる。ジョブズも変人だったし、ザッカーバーグも変人。シリコンバレーを訪れる人は、兎に角、人との出会いを大切に、そしてどんな変人に出逢えるかを楽しみにして来てほしい。

October 12, 2011

究極のデザイン



ITmediaに林信行さんのこんな記事が掲載されていた。

ひっかかったのは「究極のカタチ」のところ。

「ある有名な日本の工業デザイナーがこんなことを言っていた。かつて外観のモデルチェンジというのは、そもそも機能上どうしても必要な時にしか行わないものだったという。それがどこかで間違って、新製品であることをアピールするための形状変更(といっても主に外装の)が頻繁に行われるようになってしまった。」

記事にも書かれているが、MacBook Proは3代にわたって同じカタチ、そしてMacBook Airも2世代とも同じである。エッジの厚みやフレームの色など微妙な変更はあるが基本的なデザインは変わっていない。iPhone 3Gと3GSは同じデザインだし4Gと4GSもしかり。「新製品であることをアピールするための形状変更」をせずに最適化されたデザインを保持するアップルの姿勢はさすがだ。

こんなことをFacebookでつぶやいていたら、@toshi_takayanagさんが「いい腕時計もボールペンも自転車もそう」とのコメントをくださった。確かにそう、定番といわれているものは、微調整はあるものの何十年たってもデザインが変わらない。すごくいいデザインで気に入っていたのに「新製品であることをアピール」するためにデザインががらりと変わって劣化、落胆させられることはよくある。老舗となるようなブランドは、そのあたりのところをうまく把握して慎重な選択ができているのだろう。

その時点で最適なデザインのプロダクトをリリースし、さらに素晴らしいデザインを創造することができたと確信したときにのみ時期バージョンでそれを導入するのだろうが、そのセンスに誤りがないのは本物の証拠。超越したセンスを持ったデザイナーは、凡人では想像できない次世代のイメージを見ることができる。例えば、有名なファッションデザイナーが斬新なスタイルを発表したとき、素人にはそれがピンと来ず、よさがわかるまで暫く時間がかかることがある。子供の頃はシンプルなデザインしか受け入れることができないが、大人になるにつけ渋いデザインのよさがわかってくるのと似ている。

私は今までリリースされたiPhoneモデルはすべて購入してきたが、デザインについて先見の明があるわけでは当然ない。正直に言うと新型モデルを買った直後には毎回、前のバージョンモデルのデザインの方がよく思えた。iPhone4を初めて手にしたときも、3Gモデルのプラスティックでつるんとしたデザインの方が素敵だと感じたのだ。しかし不思議なもので、目が慣れてくると新しいデザインのよさがだんだんわかってきて、前のモデルより断然こっちとなる。この現象は、製品をデザインしたデザイナーのセンスが確かなものであるときにしか起こらない。新バージョンで本当にデザインが劣化した場合には、時間がどれだけ経過しようがダサいものはださいのだ。アップルの製品においては、前バージョンモデルのデザインの方が秀逸だったということが一度もない。第一印象ではピンとこない場合でも、時間が経つと最新デザインが最善のものだと感じられるのだ。これってもしかして、恋愛などで、出会ったばかりの頃は何とも思わなくても、好きになると世界一かっこよくみえてくるのと同じだろうか。いや、あれはまた別の話。

October 6, 2011

Jobs


ここ数年というものの、重大なニュースは必ずといってよいほどTwitter経由で知る。私はEchofonのMac用デスクトップクライアントを常に立ち上げているのだが、米国時間10月5日水曜日のこの日も、ふとフィードを覗き込んだ瞬間にそのニュースがが目に飛び込んできた。Echofonのスライダーを上下すると、どこもかしこもジョブズ訃報のツイートが溢れかえっていた。www.apple.comのリンクをクリックすると、そこには「Steve Jobs 1955-2011」のストリングと公式のメッセージが表示されており、まぎれもない事実を確認した。

私が最後にジョブズを生で見かけたのは今年6月3日のこと。WWDCの2日前、パロアルトのカリフォルニアアベニューにある日本料理店でのことだ。この店に行くとジョブズをよく見かけたが、彼はいつもカウンターの一番端の席に座っていた。6月3日はランチタイムに店に入ったのだが、ジョブズがいつも座っているカウンターの一席に案内された。あれ、これはジョブズの席だ、と思いながら座っていると、ひょろりと薄い影が近くをかすめ、私が座っている真横のカウンター席にジョブズが腰掛けた。カウンターの中のシェフたちのあいだに緊張した雰囲気が立ち込めたが、それでも「Hi Steve!」などと気さくに挨拶をして注文を取るのを私は真横に座ってそっと観察していた。彼はガリガリにやせ細ってはいたが、それでも健康そうに見えた。少量の寿司を注文し、iPhonee4でしきりに話をしていた。私が調べ物をするために自分のiPhone4を取り出すと、それを見てふっと笑を浮かべた。食事の最後に胡麻アイスを注文し、その後、いつものように裏口からそっと出ていった。

私がシリコンバレーに来たのは1997年のことだ。これはかつてアップルを追放されたジョブズが同社に復帰した年だが、その頃アップルは瀕死の状態にあった。引っ越してきたばかりの私を連れてシリコンバレーの街を案内してくれた友人は、「あそこも元はアップルのオフィスだったんだけど閉鎖になってね。」といくつかのビルを指さして話してくれたものだ。その翌年に私が就職した会社は、たまたまアップルと非常に縁の深い会社で、どこのチームにも必ず数人はアップル出身者がいたし(多い時はチームの半数以上のこともあった)、その会社からアップルに転職する人も多かった。開発の仕事をしていて、Mac OS関連のAPIの解説はウェブの資料を見ても不明確なことはよくあるが、そんな場合も大抵まわりの誰かが、実はそのAPIは自分が書いていただとか、元同僚が担当しているので直接コンタクトして聞いてくれるだとか、そういう環境だった。彼らの多くはアップルの製品について話し出したら止まらない人ばかりで、私がアップルの熱狂的ファン・信者に出会ったのはそうした同僚が初めてだった。

その会社の大半の製品のコードはWindowsとMacintoshのデスクトップのビルドをクロスプラットフォームをサポートするものだったから、エンジニアには必ず両方のプラットフォーム用に最新機種のマシンがリリースされるとすぐに支給される恵まれた環境だった。面白いのは、Dellの新しいマシンが支給されても誰も騒がないのだが、Macの新しいモデルが入るとそれは大変な騒ぎ、盛り上がりようになるのだった。98年に発表された、iCandyのテーマがぴったりのポップなカラーのiMacシリーズ。開発用のマシンがG3の搭載されたベージュモデルから、カラフルなブルーとホワイトのボディに切り替わった瞬間、そしてそれがアルミナムボディに進化するまでの楽しい変遷期間。クラシックOSからOS Xへの大胆なシフト。このシリコンバレーで、そうした進化をまさに肌で感じ取れるような環境でソフトウェアの開発に従事することができたのは大変な幸運であった。そして、iPhoneが発売されてからというものの、益々その勢いがつくなかで、アップルファンの友人たちと発売日に早朝から行列するというお祭り騒ぎに参加できたことは一生の思い出。

ジョブズがこの世からいなくなってしまったことで、ひとつの時代が幕を閉じてしまったのだけれど、なんだろう、本当にひとつの時代を共にすることができた偉大な人物の死というものは時の流れの速さを感じさせる。ジョン・レノンが亡くなったとき、それは世の中に大きな衝撃を与えたのだろうけれど、当時、自分はあまりにも幼い子供であったので、その本当の意味は理解できなかった。ジョン・レノンは、私にとって過去の歴史を学んで知った人物にすぎない。しかし、マイケル・ジャクソンが亡くなったときは違った。自分の思春期に大スターだった彼、その彼の葬儀に、かつて世界一の美女として一世を風靡したブルック・シールズが歳をとって現れスピーチをする。時の流れを感じた瞬間であった。今回のジョブズの死からも同じような衝撃を受けた。同じ時代を生きているということ、そしてその流れというものをせつなく感じた。

シリコンバレーはここ数日、まるでジョブズの死にあわせたかのように空が曇り雨がぱらついている。