October 12, 2011

究極のデザイン



ITmediaに林信行さんのこんな記事が掲載されていた。

ひっかかったのは「究極のカタチ」のところ。

「ある有名な日本の工業デザイナーがこんなことを言っていた。かつて外観のモデルチェンジというのは、そもそも機能上どうしても必要な時にしか行わないものだったという。それがどこかで間違って、新製品であることをアピールするための形状変更(といっても主に外装の)が頻繁に行われるようになってしまった。」

記事にも書かれているが、MacBook Proは3代にわたって同じカタチ、そしてMacBook Airも2世代とも同じである。エッジの厚みやフレームの色など微妙な変更はあるが基本的なデザインは変わっていない。iPhone 3Gと3GSは同じデザインだし4Gと4GSもしかり。「新製品であることをアピールするための形状変更」をせずに最適化されたデザインを保持するアップルの姿勢はさすがだ。

こんなことをFacebookでつぶやいていたら、@toshi_takayanagさんが「いい腕時計もボールペンも自転車もそう」とのコメントをくださった。確かにそう、定番といわれているものは、微調整はあるものの何十年たってもデザインが変わらない。すごくいいデザインで気に入っていたのに「新製品であることをアピール」するためにデザインががらりと変わって劣化、落胆させられることはよくある。老舗となるようなブランドは、そのあたりのところをうまく把握して慎重な選択ができているのだろう。

その時点で最適なデザインのプロダクトをリリースし、さらに素晴らしいデザインを創造することができたと確信したときにのみ時期バージョンでそれを導入するのだろうが、そのセンスに誤りがないのは本物の証拠。超越したセンスを持ったデザイナーは、凡人では想像できない次世代のイメージを見ることができる。例えば、有名なファッションデザイナーが斬新なスタイルを発表したとき、素人にはそれがピンと来ず、よさがわかるまで暫く時間がかかることがある。子供の頃はシンプルなデザインしか受け入れることができないが、大人になるにつけ渋いデザインのよさがわかってくるのと似ている。

私は今までリリースされたiPhoneモデルはすべて購入してきたが、デザインについて先見の明があるわけでは当然ない。正直に言うと新型モデルを買った直後には毎回、前のバージョンモデルのデザインの方がよく思えた。iPhone4を初めて手にしたときも、3Gモデルのプラスティックでつるんとしたデザインの方が素敵だと感じたのだ。しかし不思議なもので、目が慣れてくると新しいデザインのよさがだんだんわかってきて、前のモデルより断然こっちとなる。この現象は、製品をデザインしたデザイナーのセンスが確かなものであるときにしか起こらない。新バージョンで本当にデザインが劣化した場合には、時間がどれだけ経過しようがダサいものはださいのだ。アップルの製品においては、前バージョンモデルのデザインの方が秀逸だったということが一度もない。第一印象ではピンとこない場合でも、時間が経つと最新デザインが最善のものだと感じられるのだ。これってもしかして、恋愛などで、出会ったばかりの頃は何とも思わなくても、好きになると世界一かっこよくみえてくるのと同じだろうか。いや、あれはまた別の話。

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