November 16, 2011

【書評】知的生活の方法、今と昔 〜 Kindle Fireが発売されたので

先日、Kindle Fireが正式に発売になり、ネットはその話題で持ちきり、周りの友人の多くもAmazonから届けられたその新ガジェットに夢中になっているようである。私は購入する決心がつかず、予約注文をしないまま今日まできてしまって、手元に何もないので今回は書評でも。


知的生活の方法 (講談社現代新書 436)
渡部 昇一
講談社
売り上げランキング: 11517


「知的生活の方法」、ちょっと気恥ずかしくなってしまうようなタイトルである。本屋のレジに知り合いが座っていたら購入をためらってしまうだろう。「xxの方法」といった題名の本は、さらりと実用的に書かれた軽い内容のものを連想しがちだが、英語学者の渡辺昇一氏が書いた本書はさすがにそんなペラペラとしたものではなく、文学的というか文化的情緒に溢れた一冊である。「読書の愉しみと重要性」が主なテーマとなっているこの本では、外国語で書かれている書物の読み方からはじまり、本の収集や管理法、後半ではカントやゲーテの私生活についての考察まであり大変味わい。例えば、カントは毎朝かっきり5時15分前に召使に起こしてもらい、起きると紅茶を2杯飲み煙草を一ぷくすう。夜は10時に就寝する7時間睡眠。脳の疲労予防にチーズを愛好したという食事メニューのサンプルなど、面白い話がたくさん出てくる。

渡辺氏は、本は読みたいときに取り出せることが重要であり、「知的生活とは絶えず本を買いつづける生活である。したがって知的生活の重要な部分は、本の置き場の確保ということに向かざるをえないのである。つまり空間との格闘になるのだ。」という。成功している学者や作家は、手許に膨大な書物を持っていて、それらの文献をいつでも参照することが出来る、つまり手許に本を置くことが力になっているというのである。プライベート図書館を数千万や億単位の金をかけて建てることができる流行作家と一般人では、経済力、空間力が違う。例えば、トルストイは「戦争と平和」を書くために、小さな図書館ぐらいのナポレオン戦争の資料を集めて手許に置いたそうだが、他にも書物を置くだけのためにマンションの一室を借りるだとか、図書館を庭に建てるだとかの話が挿絵入りで解説されている。


知的生活 (講談社学術文庫)
渡部 昇一 下谷 和幸 P・G・ハマトン
講談社
売り上げランキング: 70312


「知的生活の方法」は1976年発行であるが、ハマトン著の「知的生活」をモデルに書いたのだと渡辺氏はいう。ハマトンの「知的生活は」1873年が初版であり、ビクトリア朝のイギリス人を対象に書かれた良書なのでそれを現代風に、「本書はハマトンにくらべれば小さい本ではあるが、彼にならって、私の体験をもとにして率直にまた具体的にのべた」と前書きにある。さて、渡辺氏が書いたのはハマトンから100年が経ってからだが、それからたった35年ほどで書籍の世界には大革命が起きようとしている。15世紀のグーテンベルグによる印刷技術の普及からずっと続いた紙の本の歴史に、ついに電子書籍による大変革が起きたのである。渡辺氏が説く「情報の収集」と「書籍を管理するための空間力」は莫大な富や権力を持っている人だけの特権ではなくなりつつある。置き場所がなくても、世界中の何処に住んでいようとも、ネットにアクセスできて電子書籍リーダーがあればトルストイや他の成功している作家と同じような蔵書を持つことが可能になったのだから。2007年に出版された梅田望夫氏の「ウェブ時代をゆく」のなかで、梅田氏は「知的生活の方法」で渡辺氏が主張している「蔵書を持ち続けることの重要性」の一節を取り上げ、次のように述べている。

「ネット上にアレキサンドリアの理想通りの万能図書館が誰にも無償で開かれる時代には、そのことの意味も相対化されていく。充実した知的生活を営むためには、そこに注ぎ込み得る時間こそが希少資源となったのである。間違いなく十年後には、知的生活を送りたい人にとって最高の環境がウェブ上にできあがっているはずだ。環境をもつための努力ではなく、誰にも与えられる最高の環境をどれだけ活かせるかに知的生活のポイントが移行する。知的生活に惜しみなく時間を使えることこそが最優先事項となろう。」

渡辺氏は100年前に書かれたハマトンを当時の現代風に書きかえた。渡辺氏が「知的生活の方法」を書いてから約30年後、ネットによる世界の大変化とそこでの最新版知的生き方を記したのが梅田氏なのである。


ウェブ時代をゆく ─いかに働き、いかに学ぶか (ちくま新書)
梅田 望夫
筑摩書房
売り上げランキング: 23647


November 13, 2011

アメリカの本当の強さ 〜 シリコンバレーの文化とPay It Forwardの精神


Pay It Forwardという映画がある。アメリカで2000年に公開されたこの映画、テーマが素晴らしいのに陳腐な恋愛物語になってしまっていたのが残念な印象だったが、その美しいテーマゆえに時々思い出す。11歳の少年が学校で「世界を変えてみよう」という宿題を出されるのだが、少年が考えたのは、誰かから親切にされたら、それをその相手に返すのではなく別の3人に親切にして伝えようということだった。親切にされた3人それぞれが、また別の3人に親切にすると、次は9人、そしてそれが27人になりという具合に累乗で無限に増えて行って世界がよい方向に変わると少年は考えたのだ。

私はアメリカに始めてきた時に、このPay It Forwardの精神をカルチャーショックの一つとして感じたのを鮮明に覚えている。異国からやってきた私に対して、見ず知らずの人が親切にしてくれ、必要な情報や物を無償で提供してくれるのだ。要するにボランティア精神なのだが、そこには見返りに対する期待は全くない。むしろ、お礼をするとちょっと驚かれることの方が多い。日本人は親切な人が多く「恩返し」の風習がある。「鶴の恩返し」だとか、「恩返し」をテーマにした日本独自の寓話の多さにもそのカルチャーは表れている。日本は国土が狭く、古来定住民族なので恩を受けたら、同じ相手にお返しをすることが容易だ。しかし、移民で構成されているアメリカの歴史とカルチャーを考えれば、むしろ同じ人に恩返しをしようと思ってもそれは難しい場合のことの方が多い。西へ西へとフロンティアの開拓を進めてきた時代に始まり、今でさえ、この国の人は実によく引越しをする。移民としてやってくる人たちは、この国に到着したときに誰も知り合いがいないことも多い。そんな風土で育まれてきたカルチャーがPay It Forwardなのだろうが、私はそれがこの国が繁栄してきた理由とその本当の強さなのだとつくづく思う。同じ人の間で完結してしまわないで、よいことはどんどん次々と先送りして伝えていく。それが結果として全体をよくすることになり、自分も世界も幸せになる。日本の恩返しの文化も美しいと思うが、ちょっとこのPay It Forwardの精神も取り入れてみれば、狭い国であるがゆえ、その効果も伝播速度と循環も速いだろうから、ポジティブな効果がてきめんに現れるかもしれない。

さて、先日JTPAで「日本人のシリコンバレーでの起業について」というテーマで本間毅さんに講演していただく機会[1]があったのだが、本間さんはその講義でもブログでも「 頂いた恩を、次の世代にかえしたい 」ということを強調されている。

起業した頃、お世話になっている先輩経営者に尋ねたことがある。「僕はまだお金もないし、そうやって助けてくださったことに対して、どうやって恩返しをすれば良いのでしょうか」 
彼は言った「そんなことは気にしなくて良い。君がいつか誰かを助けてあげればいいんだよ」と。思えば私はその言葉に忠実にやっているだけだ。

こんなこともきっかけで、忙しい仕事の合間にボランティアで起業家の支援をされているという本間さんが起業されたのは日本だから、これは日本人の方からのアドバイスなのだろうが、結局シリコンバレーの起業にまつわるエコシステムもすべてこの「次に伝える」という精神が中心にある。

AppGrooves Inc.を共同創業し、シリコンバレーの日本人起業家として活躍されている柴田尚樹さん[2]も、いつも同じようなことを言っている。「ここ2ヶ月間くらいで、一生かかっても恩返しできないんじゃないかというほど、いろいろな人に助けていただいているのです・・が、これってやはり自分よりも若い人に同じようにしてあげる以外に方法ないですよね。」

本間さん、柴田さん、とご紹介したので、シリコンバレーでPay It Forwardのスピリッツ的活躍をされている日本人をもうひとり。上杉周作さんだ。上杉さんも10月にJTPAで講演してくださったのだが、目下Quoraのエンジニアとして活躍中、Facebookでは「ちびこーど」というサイトを運営し、日本にいる若い人達のために様々な教育関連の講義や議論を展開している。最も最近では、「日本のITスタートアップの方へ。パワポと資料送ってくれたら、タダで英語のピッチ作ります。」という試みで日本の起業家の支援をしている。彼はまだ23歳、並外れた行動力とインテリジェンスの持ち主である。ちなみに、JTPAではほぼ毎月ギークサロンなどのイベントを開催しているが、来月12月は上杉さんに企画の運営ボランティアをお願いさせていただいた。何でもご自由に、好きなようにやってくださいと伝えてあるのだが、どんなテーマになるのかとても楽しみだ。

私自身も、アメリカに来てからこのPay It Forwardのカルチャーを肌で感じ、実に多くの人たちに親切にしてもらい、先輩達からチャンスをもらってやってきた。JTPAでのボランティア活動もその一環なのだが、これからも次の世代の人たちに自分がもらったものを伝えていきたい。



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[1] 本間さんの11月11日のJTPA講演での録画とプレゼン資料はこちら
[2] 柴田さんの日経Bizアカデミーでの連載、「シリコンバレー起業日記」がすごく面白いです。シリコンバレーにおける起業のエコシステムがよくわかります。

November 8, 2011

イベントのお知らせ:「日本人のシリコンバレーでの起業について本間毅氏と語る」


今週金曜日(米国西海岸時間 夜7時30分開演)に、JTPAで以下のイベントを開催いたします。ご興味のある方は是非ご参加ください。USTREAMにて中継しますので、会場に来れない方もご覧になれます --- いつもどおりボランティアの四元さんがライブキャストしてくださいます。詳細と申込み方法はこちらから。

なお、今回のイベントは次のボランティア・スタッフの方々にご協力いただいております: [オーガナイザー] Jin Yamanaka [機材・音響] Hiro Yotsumoto [その他コーディネート・企画] Hideaki Hayashi, Sho Tabata, Hitoshi Ishiwata, Marika Gunji, Sunny Tsang [グーグルカレンダー・Twitter] Tomoko Fukuzawa [会計] Yoshiko Hugehes [会場スポンサー] Wilson Sonsini Goodrich & Rosati


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JTPA ギークサロン
「日本人のシリコンバレーでの起業について本間毅氏と語る」

11月11日金曜日 午後7時 Palo Alto
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11月のギークサロンでは、自ら学生時代に起業した経験と日米でのビジネス経験をもとに日本人起業家の支援を行っている本間毅氏をお迎えします。
シリコンバレーに挑戦している日本人の若者の現状や本間氏のサポート活動をご紹介頂き、またシリコンバレーで起業することの意味や難しさ、可能性、そして日本人エンジニアが起業にどう関わって行くのが良いかについて本間氏にお話頂きます。

スピーカー: 本間 毅 (ほんま たけし)氏
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1974年生まれ。中央大学在学中から起業し1997年にWebインテグレーションを行うイエルネット設立。
黎明期のビットバレーやピーアイエム株式会社(後にヤフージャパンに売却)の設立にも関わる。

2002年、イエルネットの全営業権を譲渡し、2003年に大手家電メーカーに入社。
ネット系事業戦略部門、リテール系新規事業開発等を経て2005年よりグループ内のネットメディア開発に携わる。
社外ベンチャー企業との協業により、Web2.0やBlog/SNS系テクノロジの社内導入を推進する。

2008年5月よりアメリカ赴任。サンディエゴ在住を経て現在はサンノゼに勤務。
電子書籍関連の業務に携わる傍ら自らの起業経験と日米でのビジネス経験をもとに日本から訪れる起業家の支援を行っている。
専門領域はインターネットビジネスやネットメディアだが、事業戦略や新規事業創出の観点からも具体的なアドバイスを提供している。

http://about.me/thonma
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アジェンダ
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・本間氏は何故スタートアップの支援をしているのか。その理由と氏のサポート活動の内容について。
・現在の日本の若者が何を考え、何を目指しているのか。彼らのシリコンバレーへの進出状況について。
・シリコンバレーで起業することの意味、難しさ、可能性などについての本間氏の考え。
日本人エンジニアが現地での起業にどのように関わっていくと面白いか。
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October 31, 2011

電子書籍とソーシャル



アマゾンと書籍の電子化のあたりで議論が盛り上がっている。私は米国に住むようになってもう長いのだが、当然、日本の書籍が続々と電子化されるのを心から待ち望んでいる。これまでも、海外で生活していてストレスが溜まることの一つは日本の書籍の入手だった。実用書は英語圏で出版されているものを読むことが多いものの、長い時間をかけて開拓して愛読している日本の作家は多いし、娯楽その他でも日本の本は大好きなので、それらが手軽に入手できないのは辛い。ご存知のように日本書籍の電子化は時間がかかっているから、紙の本を買うことになるのだけれど、入手方法は限定される。ベイエリアには紀伊国屋が何軒かあるものの、書籍数はかなり少ないので、大半の日本書籍はアマゾンジャパンから取り寄せてきた。問題は「どうやって本を選ぶか」だ。

書店に足を運んでパラパラやることができない状況での本選びは、かなりの部分を推測に頼る手探り作業だ。アマゾンで適当に選んで注文すると、大抵3冊に1冊ぐらいの割合でハズレである。「なか見!」機能のついている本は、大体の内容が把握できていいけれど、この機能のない本を、サイト内にあるカスタマーレビューを読んだりオススメ機能から選んでもうまくいかない。レストランを選ぶときにはレビューサイトを参考にすると失敗が少ないが、それは人間の味覚にはそれほど個人差がないからだ。本以外の製品をオンラインで買うときも同じで、レビューサイトのコメントはかなり参考になる。しかし、書籍のように、その評価が個人の興味の対象や嗜好に激しく依存するものは、「みんなの意見」の集積があまりあてにならない。これは、ベストセラーのような大衆受けするものから外れるほど顕著になる。

結局、自分と読書傾向や興味の対象が似ている人がブログで書いている書評を参考にするのが一番確実というところに落ち着いた。当然といえば当然だが。私はそういう人のブログで面白そうな本のレビューがあると「ほしい物リスト」にどんどん追加していき、それを定期的にアマゾン・ジャパンに発注している。この間もこの方法で50冊ぐらいまとめて取り寄せたが、ハズレは3冊ぐらいしかなかった。33%のハズレ率を6%に減らすことができるのである。

そこで本題なのだが、書籍の電子化が進むと、皆が海外居住者のような状況に置かれることになる。店舗も当分の間は残るだろうが、その数は減るし、電子版だけで出版される本も増えてくる。書店に立ち寄って、ふらふらしながら本を手に取り吟味するというプロセスはオンラインでのアクティビティに取って代わるのだ。電子書籍では、いわるゆ「在庫」というものもなくなるから、選択できる本の数も無限に増えてくる。その本の海の中から自分の欲しい本をいかに効率よく見つけることができるかが課題になってくる。このあたりの問題をうまく効率化できるソーシャルな機能や、ターゲットを明確にした書評サイトは電子書籍の世界で重要な役割を担うことになると思う。

また、ハズレを少なくするというよりも、ハズレが出た場合のコストを軽減するためのソリューションも課題となってくるであろうか。オンランショップで買ったものは「返品」という形でハズレのケースに対応できるが、電子書籍の場合はどうだろうか。アマゾンが、Netflix映画レンタルのスタイルで一定金額を払えば本が読み放題のサービスを開始すると噂されているが、政治的問題が上手く解消されてこれが実現すればハズレ問題は解消できるし、所有するよりも借りるというスタイルが本の場合にも定着してくるかもしれない。いずれにせよ、映画や本のように個人的嗜好に大きく依存するようなものは、効率化されたソーシャル機能がその選択に大きく貢献することは間違いない。

October 20, 2011

シリコンバレーへ行くべきですか



「シリコンバレーへ行くべきですか」という質問が流行っているらしい。私も何人かの人に訊かれた。人それぞれ事情がちがうだろうし、どちらにした方がよいかのアドバイスはするつもりはないけれど、@shibataismさんの「無責任に応援します」というコメントに同感する。情報を集めて、色々な人の意見や話を聞いて、それを自分なりに咀嚼して、あとはビジョンのままにやるといいと思う。状況は刻々とかわるから、前例がなくてもうまくいくかもしれないし、前例があってもだめになるかもしれない。

ただ、考えた末にシリコンバレーに来ることになったら、人との出会いを大切にすることだと思う。

Paul Grahamのエッセイに、"How to be Silicon Valley"(日本語訳「シリコンバレーが出来るには」)というのがある。他の場所にシリコンバレーを複製するにはどうしたらよいのかという問に対して、結局、人が一番大切なのだというコンテンツ。

「必要なのは適切な人たちだ。シリコンバレーからバッファローに適切な1万人を移動できれば、バッファローがシリコンバレーになるだろう。」

優秀な人は、他の優秀な人を惹きつける。連鎖反応が自然発生する。どのようなプロジェクトをやるかより、誰と一緒にやるかの方が大切だとはよく言われるが、プロジェクトは失敗しても、優秀な人達と仕事をしていればいつかは上手くいく可能性が高くなる。こうしてシリコンバレーは繁盛を続けてきたのだ。

シリコンバレーには、本当に才能に溢れて面白い人間が集まっている。私は自分の人生で知り合って刺激を受けた「凄い人」というのは、ほぼ全員シリコンバレーに来て出会った。もっとずっと若い頃に彼らと出会うことができていたら、自分の人生はどのようになっていただろうとさえよく思う。東京やほかの都市にも面白い人は大勢いるが、人が多いから出会うのが難しかったりもする。シリコンバレーの場合は、同じ志をもった人たちが一箇所に集まってきていて、テクノロジー系の職場で働けばギークが集まっているから気の合う面白い人に遭遇しやすい。世界中からやってきた人間で構成されているので、考え方や発想に多様性があるのもその環境を更に特異な場所にしている。

だから、シリコンバレーに来ることになったら、人との出会いを大切にしていれば、たとえプロジェクトや仕事で失敗して日本に帰ることになったとしても、そういう人たちから学んだことを必ずどこかで活かすことができるはず。

つい最近、ある集まりで知り合った人と、シリコンバレーって面白くて優秀な人に会えますよね、変人が多いですよね、という話になった。私が「変人というのはここでは賛辞のことばですよね。」というと、「そういう人とは友達になれそうですね。」という会話の流れでお友達になった人がいる。ジョブズも変人だったし、ザッカーバーグも変人。シリコンバレーを訪れる人は、兎に角、人との出会いを大切に、そしてどんな変人に出逢えるかを楽しみにして来てほしい。

October 12, 2011

究極のデザイン



ITmediaに林信行さんのこんな記事が掲載されていた。

ひっかかったのは「究極のカタチ」のところ。

「ある有名な日本の工業デザイナーがこんなことを言っていた。かつて外観のモデルチェンジというのは、そもそも機能上どうしても必要な時にしか行わないものだったという。それがどこかで間違って、新製品であることをアピールするための形状変更(といっても主に外装の)が頻繁に行われるようになってしまった。」

記事にも書かれているが、MacBook Proは3代にわたって同じカタチ、そしてMacBook Airも2世代とも同じである。エッジの厚みやフレームの色など微妙な変更はあるが基本的なデザインは変わっていない。iPhone 3Gと3GSは同じデザインだし4Gと4GSもしかり。「新製品であることをアピールするための形状変更」をせずに最適化されたデザインを保持するアップルの姿勢はさすがだ。

こんなことをFacebookでつぶやいていたら、@toshi_takayanagさんが「いい腕時計もボールペンも自転車もそう」とのコメントをくださった。確かにそう、定番といわれているものは、微調整はあるものの何十年たってもデザインが変わらない。すごくいいデザインで気に入っていたのに「新製品であることをアピール」するためにデザインががらりと変わって劣化、落胆させられることはよくある。老舗となるようなブランドは、そのあたりのところをうまく把握して慎重な選択ができているのだろう。

その時点で最適なデザインのプロダクトをリリースし、さらに素晴らしいデザインを創造することができたと確信したときにのみ時期バージョンでそれを導入するのだろうが、そのセンスに誤りがないのは本物の証拠。超越したセンスを持ったデザイナーは、凡人では想像できない次世代のイメージを見ることができる。例えば、有名なファッションデザイナーが斬新なスタイルを発表したとき、素人にはそれがピンと来ず、よさがわかるまで暫く時間がかかることがある。子供の頃はシンプルなデザインしか受け入れることができないが、大人になるにつけ渋いデザインのよさがわかってくるのと似ている。

私は今までリリースされたiPhoneモデルはすべて購入してきたが、デザインについて先見の明があるわけでは当然ない。正直に言うと新型モデルを買った直後には毎回、前のバージョンモデルのデザインの方がよく思えた。iPhone4を初めて手にしたときも、3Gモデルのプラスティックでつるんとしたデザインの方が素敵だと感じたのだ。しかし不思議なもので、目が慣れてくると新しいデザインのよさがだんだんわかってきて、前のモデルより断然こっちとなる。この現象は、製品をデザインしたデザイナーのセンスが確かなものであるときにしか起こらない。新バージョンで本当にデザインが劣化した場合には、時間がどれだけ経過しようがダサいものはださいのだ。アップルの製品においては、前バージョンモデルのデザインの方が秀逸だったということが一度もない。第一印象ではピンとこない場合でも、時間が経つと最新デザインが最善のものだと感じられるのだ。これってもしかして、恋愛などで、出会ったばかりの頃は何とも思わなくても、好きになると世界一かっこよくみえてくるのと同じだろうか。いや、あれはまた別の話。

October 6, 2011

Jobs


ここ数年というものの、重大なニュースは必ずといってよいほどTwitter経由で知る。私はEchofonのMac用デスクトップクライアントを常に立ち上げているのだが、米国時間10月5日水曜日のこの日も、ふとフィードを覗き込んだ瞬間にそのニュースがが目に飛び込んできた。Echofonのスライダーを上下すると、どこもかしこもジョブズ訃報のツイートが溢れかえっていた。www.apple.comのリンクをクリックすると、そこには「Steve Jobs 1955-2011」のストリングと公式のメッセージが表示されており、まぎれもない事実を確認した。

私が最後にジョブズを生で見かけたのは今年6月3日のこと。WWDCの2日前、パロアルトのカリフォルニアアベニューにある日本料理店でのことだ。この店に行くとジョブズをよく見かけたが、彼はいつもカウンターの一番端の席に座っていた。6月3日はランチタイムに店に入ったのだが、ジョブズがいつも座っているカウンターの一席に案内された。あれ、これはジョブズの席だ、と思いながら座っていると、ひょろりと薄い影が近くをかすめ、私が座っている真横のカウンター席にジョブズが腰掛けた。カウンターの中のシェフたちのあいだに緊張した雰囲気が立ち込めたが、それでも「Hi Steve!」などと気さくに挨拶をして注文を取るのを私は真横に座ってそっと観察していた。彼はガリガリにやせ細ってはいたが、それでも健康そうに見えた。少量の寿司を注文し、iPhonee4でしきりに話をしていた。私が調べ物をするために自分のiPhone4を取り出すと、それを見てふっと笑を浮かべた。食事の最後に胡麻アイスを注文し、その後、いつものように裏口からそっと出ていった。

私がシリコンバレーに来たのは1997年のことだ。これはかつてアップルを追放されたジョブズが同社に復帰した年だが、その頃アップルは瀕死の状態にあった。引っ越してきたばかりの私を連れてシリコンバレーの街を案内してくれた友人は、「あそこも元はアップルのオフィスだったんだけど閉鎖になってね。」といくつかのビルを指さして話してくれたものだ。その翌年に私が就職した会社は、たまたまアップルと非常に縁の深い会社で、どこのチームにも必ず数人はアップル出身者がいたし(多い時はチームの半数以上のこともあった)、その会社からアップルに転職する人も多かった。開発の仕事をしていて、Mac OS関連のAPIの解説はウェブの資料を見ても不明確なことはよくあるが、そんな場合も大抵まわりの誰かが、実はそのAPIは自分が書いていただとか、元同僚が担当しているので直接コンタクトして聞いてくれるだとか、そういう環境だった。彼らの多くはアップルの製品について話し出したら止まらない人ばかりで、私がアップルの熱狂的ファン・信者に出会ったのはそうした同僚が初めてだった。

その会社の大半の製品のコードはWindowsとMacintoshのデスクトップのビルドをクロスプラットフォームをサポートするものだったから、エンジニアには必ず両方のプラットフォーム用に最新機種のマシンがリリースされるとすぐに支給される恵まれた環境だった。面白いのは、Dellの新しいマシンが支給されても誰も騒がないのだが、Macの新しいモデルが入るとそれは大変な騒ぎ、盛り上がりようになるのだった。98年に発表された、iCandyのテーマがぴったりのポップなカラーのiMacシリーズ。開発用のマシンがG3の搭載されたベージュモデルから、カラフルなブルーとホワイトのボディに切り替わった瞬間、そしてそれがアルミナムボディに進化するまでの楽しい変遷期間。クラシックOSからOS Xへの大胆なシフト。このシリコンバレーで、そうした進化をまさに肌で感じ取れるような環境でソフトウェアの開発に従事することができたのは大変な幸運であった。そして、iPhoneが発売されてからというものの、益々その勢いがつくなかで、アップルファンの友人たちと発売日に早朝から行列するというお祭り騒ぎに参加できたことは一生の思い出。

ジョブズがこの世からいなくなってしまったことで、ひとつの時代が幕を閉じてしまったのだけれど、なんだろう、本当にひとつの時代を共にすることができた偉大な人物の死というものは時の流れの速さを感じさせる。ジョン・レノンが亡くなったとき、それは世の中に大きな衝撃を与えたのだろうけれど、当時、自分はあまりにも幼い子供であったので、その本当の意味は理解できなかった。ジョン・レノンは、私にとって過去の歴史を学んで知った人物にすぎない。しかし、マイケル・ジャクソンが亡くなったときは違った。自分の思春期に大スターだった彼、その彼の葬儀に、かつて世界一の美女として一世を風靡したブルック・シールズが歳をとって現れスピーチをする。時の流れを感じた瞬間であった。今回のジョブズの死からも同じような衝撃を受けた。同じ時代を生きているということ、そしてその流れというものをせつなく感じた。

シリコンバレーはここ数日、まるでジョブズの死にあわせたかのように空が曇り雨がぱらついている。